私たちはこの世に生をうけ、ちっぽけな人生を生きて、そして死を迎える

双極、30代の真ん中らへん。2009年双極性障害の可能性と診断され、2010年に薬剤により躁転し診断確定。鬱、リストカット、過食、引きこもりの20代から、今は比較的楽しく生きています。

眠れない羊の群れの迷える心の叫び 第二夜

2月22日のこと。

本当は次の23日が診察日だったのですが、急遽前倒しで診察に行ったのでした。

私「もうダメです…家で休むのも限界、ダメですわ…」

主「…入院しますか。」

主治医、内線電話を取る、看護師長に病棟の空き状況を確認する。

主「今、確認したら閉鎖しか空きがなくて、開放は当分空きがないんだけど、閉鎖でも大丈夫ですか?」

私「…はい。」(もうなんでもいいっす)

主治医、再び内線で看護師長とやり取り。

主「じゃあ明日の10:00に外来の受付に来てください。行動制限はかけないから、煙草とか自由に吸いに行って大丈夫なんで。」

私「わかりました。」

説明があるからと待合で待つこと1時間、看護師がやって来て

入院手続きや準備の資料と、閉鎖病棟の持ち込み制限の説明を受けました。

「…あの、glo…iQOSって持ち込み禁止ですかね?」

看護師さん、なんだかわからないのできょとんとした顔。

「あ、電子式加熱煙草です。」

「電子機器類は持ち込み禁止なので、ダメですね…普通の煙草なら、ライターがナースステーション預かりなので大丈夫ですよ。」

 

オーマイガッ!

今さら紙巻き煙草かよっ!ダルっ!

まあ吸えるだけマシか…

 

なんてことをぼんやり考えつつ、帰り際に主治医が

「わたこさん、明日だから。今日1晩だけ(死ぬのは)我慢してね。耐えてね。明日待ってますから。」

と私に言いました。付き添いの母と家路に付き、そこからどうしたのかは

おぼろげです。とりあえず準備できるものだけ準備して、ひたすら希死念慮と戦っていました。

 

友達数人に閉鎖に入院してくるとLINEして、言われた通り2月23日の午前10:00に行ったと思います。

 

閉鎖病棟は二重扉になっていて、もちろん内側からも外からも、鍵がないと開きません。

鍵は精神科の医師と看護師など出入りする職員が持っています。

鍵をもたない患者は、当然看護師などに開けてもらいます。

院内外出から戻った時とか、鍵をもたない職員は、インターホンをピンポンします。

 

1つ目の扉を開けるとそこにはロッカーが置いてありました。

もうひとつの扉の先、つまり閉鎖病棟の中へは

電子機器類は一切持ち込むことは出来ないので、ここで手荷物と預けるという仕組み。

そこでiPhoneの電源をoffにして、母に渡しました。

中に入って主治医の補佐的役割の担当医と看護師から

入院の説明、現在の状況の聞き取り、各種書類にサイン。

病棟の説明を受けて、荷物チェックを受けて、病室に案内される。

荷物を整理して、母は帰って行きました。

痛み止めのロキソニン、便秘薬、不眠時のルネスタを出しておきますと言われ

頓服がワイパックスに変わりました。

(レキソタンが効いてるかわからないと言ったので)

 

とまあ、だいたいこんなかんじだったとは思い出せるのですが、

当時は頭がおたんこすぎて細かいやり取りは覚えていないです。

 

入院の要領は2015年に開放に入院したため、わかっていたし不便はありませんでした。

 

入院する時はなんだかいつも転校生な気分です。

 

今回はどんな人がいるのかな…

ていうか私1ヶ月で出れるんかな…

 

不安要素はいっぱいあったのですが、それまで私は

奇行ばかりやらかしていたので、安心の方が大きかったです。

 

閉鎖に来たからには、とりあえず死なずに済む方法を考えないとね。

 

そんな感じで初日は終わっていきました。