私たちはこの世に生をうけ、ちっぽけな人生を生きて、そして死を迎える

双極、30代の真ん中らへん。2009年双極性障害の可能性と診断され、2010年に薬剤により躁転し診断確定。鬱、リストカット、過食、引きこもりの20代から、今は比較的楽しく生きています。

迷える心に悪魔降り立つ

自傷の話です。痛い描写が苦手な人はご注意。

写真はありませんのでご安心を。

 

20歳の頃からリストカットに手を出し始めたことは前の記事で書きましたが

最初は安全カミソリでかすり傷からの、貝印の安全じゃないピンクのカミソリで太もも、最終的には腕を切っていました。

目的は死ぬためでもなく。

てかこれで死ねるなら私はとうの昔に死んでますw

死にたくなったときのどうしようもない感情のはけ口と言えばいいのか。

ストレス発散でもあった気がする。

 

ストレス発散行為でこれに依存もしていたので

正直に言いますけど、切るのが楽しい時とかありましたよ。

思えば躁転するときに必ず腕を手首から肘まで切って

腕を血まみれにして満足してましたから。

躁転したときのほうが躊躇なく切れるんです。

それどころか、このまま飛び降りとかして死ねる気がする!と

らんらんとしてた気がします。

どこまで深く切れるかを常に意識しておりました。

と書きつつ縫合まではいったことありません。

カミソリを腕に振り下ろしてみたり。

ちょこちょこと跡に残らない浅い傷を作るより、傷の幅が2~3ミリ以上ぱっくり行った方が痛くないんだよね。

不思議とね。

血が結構出るので後処理がめんどくさく

いつもこれを使ってました。

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1度会社にいる時にトイレにこもって太ももを切っていたことがあります。

制服のスカートの裏地に血のシミができていました。

その頃、毎日毎日死にたくて、死ねなくていつも会社帰りの運転中に

もういやだぁ…と項垂れていました。

 

どうして腕だけは守っていたのに、25歳の時ついに腕を切ってしまったのか。

 

やっぱり自分は

どこにでもいる、仕事をして、休みは趣味にデートに

連休は旅行に、今から結婚もして家庭を築く

25歳にはなれなかったことに絶望し、それなら30歳まで好き勝手に生きて

死のうと思いました。

30歳で死ぬから腕が傷跡だらけになっても構わない。

むしろ傷をたくさん増やしてどんどん死ぬ勢いがつけばいい。

とことん自分を身も心もボロボロにしてやろうと思いました。

 

2010年の1月のはじめ、休職したばかりの頃、躁転からの鬱転で

どんより希死念慮で沈んでいました。

躁転してた自分が恥ずかしかったし。

 

家には誰もいません。

 

あーもう死んでいいかなぁ

いいよー!

 

悪魔のささやき。

 

首を切って死のうと思いました。

2週間分の安定剤と眠剤をお酒で流し込んだら

恐怖心も薄れるかなぁと思って。

結果は眠剤が効きすぎて首どころが手首も浅くしか切れず

キッチンでぶっ倒れていました。

寝てるだけなので、気づいたら親のベッドに寝かされていました。

未遂にすらなってない。

新しく薬はもらいに行かなきゃならんし、通院は1週間に1回になるし

薬は親が管理になるし。

ODはもう二度としねぇ…と思いました。

 

それ以来ODはしていません。

 

やらかしつつも休養の意味もわからず暇すぎて

その後2010年の3月に一旦復職しました。

思えば復職の決断も躁転だったのかもしれない。