この世界に住むネガティブ
はじめまして。
双極性障害2型(躁うつ病)の診断を受けて、投薬による闘病中の30代です。
現在、この国には300万人以上の精神疾患患者がいるとされていますが、普段生活しているとあまりお目にかかることのない精神疾患の人たち、まだまだ世間の目は気になるし、みんな隠して生きていますね。
精神疾患は見た目ではわからないし。
私も見た目は全く普通とはよく言われます。
もちろん同じ疾患を患う友人も。
まあ、私は日本人として精神疾患患者として、どこにでもいそうな感じなのですが、30代中盤にして障害年金申請をすることになり、20歳から10数年の過去を振り返ることがあったので、その中から面白そうな体験談を少しまとめようと思ったのです。
本題に入る前に、双極性障害と診断されるまでの経緯をざっと書きます。
20歳、どこにでもいそうな普通の短大生をしていました。
ただ漠然と、目標もなく過ごして
授業を受けて、バイトに行って
テストを受けて、規定の単位を取得して。
漠然と毎日を過ごしていたのですが
なんだかよくわからないけど
憂鬱で仕方なく、朝起きられなくて学校を休むことがよくあり、気づけば出席日数はギリギリになっていました。
友達はそこそこいましたが、なんか何となく学生生活に馴染めない感じ。
お付き合いしている彼もいたのですが、気分の波で振り回していたと思います。
なんか学校はちゃんと行けないし
彼とは上手くいかないし
私のなにがダメなの???
私のなにがダメなの?思考は
いつしか
私はダメな人間だ…
という思考にかわっていきました。
親とも喧嘩ばっかりです。
ある日、母と喧嘩した時、なぜだかは思い出せないのですが
「あんた躁うつ病なんじゃないの!?」
と言われました笑
当たってたみたいよ、お母さん笑
というわけで、学校はなんだかちゃんと行けないし、彼とは上手くいかないし、親とも上手くいかないし
私はダメな人間だ!!!
うわーーーー!!
こんなダメなやつこの世に必要ない!
死んだ方がいいと思う!
憂鬱やイライラが最高潮。
鬱状態まっしぐらです。
その時ついに私は
今後の自分の人生に大きく影響することに手を出してしまいます。
それはリストカットでした。
最初は、眉毛なんかを切る小さな先の尖ったハサミで
腕をひたすらガリガリ引っ掻いていました。
ミミズ張れができました。
その後に、安全カミソリで、かすり傷程度。
学生のうちは、ここまでで終わりました。
その数年後にもっとしんどい展開が待っているとは
思いもしなかった20歳の冬でした…。